モノクロで撮る意味を考えてみた
まだカラーで写真が撮れない時代に作られた80年以上前のレンズだからかもしれないが、エルマーにしても、ズマールにしても、カラーフィルムより、モノクロフィルムの写りの方がオレの好みに合っている。
たぶん、バルナックを使うときには、特別な意図がない限り、モノクロフィルムで撮り続けるだろう。実は最近になって、ローライ35を手に入れた。比較的新しいこのカメラ(それでも50年前のカメラだけど)のカラーの写りは好みに合いそうだと感じている。だから、今日はリバーサルフィルムで初めて撮ってみた。仕上がりが楽しみだ。もちろんモノクロで撮ってみたら、やっぱりモノクロがいいね、なんてことになるかもしれない。
モノクロ写真塾という古い本を読んだ。
モノクロ写真塾―モノトーンの表現力と黒白写真の魅力を再発見する (日本カメラMOOK)
- 出版社/メーカー: 日本カメラ社
- 発売日: 1994/11
- メディア: 単行本
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なぜいま、モノクロ写真か?
その考察に興味を持った。
様々な写真家の考え方が紹介されている。
その中でも、高梨豊さんという方の文章がオレの心に入ってきた。
カラーの広さとモノクロームの深さ
高梨さんの文章をお借りすると、
カラー表現とモノクロ表現を考えてみると、私の場合、そこにははっきりとした表現方法の違いがある。それは最終的には、表現における広さと深さにかかわってくる。つまり、カラーには表現的な広さがあり、モノクロームにはイメージを増幅させる表現の深さがある。
天然色という言葉が初めにあったように、実際の世界には色彩があるわけであるから、そのものを忠実に記録しようとしたら、カラーで撮るのが自然である。モノクロームというのは、現実にある色彩の世界を白と黒のバルール(画面における色彩の相関関係)に置き換える。モノトーンの世界に変えてしまうために、当然そこでは現実的でない、抽象的な表現ということが考えられる。
この文章を読んでスッキリした。
オレに置き換えると、
現実的表現はカラー
旅した時に見た景色や伝えたいものを忠実に撮る時にはカラーで撮ろう。
正確な情報や事実をブログやSNSで他の人に見てもらうにはカラーの方があっている。色彩豊かな美しいものもカラーがいい。カラーは広さを表現できる。これは、もしかしたらフィルムではなく、デジタルカメラという選択をすることになるかもしれない。
抽象的表現はモノクロ
人間の人間くさいところはモノクロの方がいい。想像力を掻き立てられる。たとえ、視覚的に美しくなくても、その人の深さを表現するにはモノクロが最適だと思う。オレの場合、年老いた両親 も撮っておきたい、兄弟たちも美しくはない、でもその人物の深さを表現するにはモノクロの方がいい。懐かしい場所、思い出のあるもの、モノクロで撮っておきたい。そのためには、まずオレの腕をあげないといけないね。
もちろん、他の方のブログ写真を見て、カラーでも深さを感じる作品はいっぱいあるけどね。深さを表現するには、モノクロの方が向いている ということなんだと思う。
そのモノクロフィルムもいろいろと使ってみている。
フジとコダックだけしか知らなかったが、nowarlさんに情報をもらってオリエンタルのフィルムも使ってみたりしている。
ネットしか使わないと限界があるね。やっぱり足で稼ぐ情報も大切だ。Amazonだと売ってないものがリアル店舗には置いてあったりする。
有楽町のビックカメラ
モノクロだけでこんなに置いてある。
ちなみにカラーフィルムの種類もすごい。
とても全種類は試せないけど、nowarlさんに教えていただいたシーガル400を使ってみた。
天王洲アイルに仕事で泊まった合間に撮影してみた。
枯れたひまわりが、華やかに咲き誇るひまわりに負けていない。凛とした姿勢に かっこいいじいちゃんの姿を見た。
そのモノクロフィルムの現像がトイラボさんで できなくなった。
昨夜注文したら、今朝モノクロフィルムの現像中止のメールが届いた。
とても残念だ。
さて、これからのモノクロフィルムの処理はどうしたらいいのか。思案に暮れている。