あの日から6年
このテーマでブログに書くかどうか迷っていたが、適度なタイムラグもあって書いてみたいと思えるようになった。
3月に東北の海岸線を旅してきた。
20代のほとんどを仙台で過ごした。オレの青年時代は東北とともにあった。
仕事にも行き詰まり、どん底も経験した。最初の2年は苦い思い出ばかり。たぶん、精神的にも病んでいたと思う。
3年目からやっと浮上することができ、生活も落ち着いてきた。
高橋克彦氏の歴史小説に出会った
炎立つ、火怨(かえん)、風の陣、天を衝く など
時の政権に立ち向かう蝦夷たちの魂が オレの心に沁みていった。
仙台に、東北に 今でも強い愛着がある。
あの日、6年前の3月11日 大震災が起こった。
オレが被災地で目の当たりにした状況は悲惨すぎた。真正面からは見ることができなかった。
あの日から6年、東北の海岸線をまわってみようという気になった。
悲惨な状況から浮上する姿を、この目に焼き付けておきたい。あの時のオレも、もがきながら復活することができた。東北の力は、蝦夷の力は、偉大なのだ。
3月9日に仙台の仕事を入れた。
その後に、レンタカーを借りて2泊3日の旅にでかける。
10日 松島へ
そして、思いきり楽しんでこよう。
松島(五大堂、遊覧船)
松島を訪れるのは5回目ぐらいになるかもしれない。震災後は初めて。
五大堂
遊覧船に乗って
石巻(サンファンバウティスタ号)
サン・ファン館は、できたばかりの頃にいったことがある。当時は、乗船することができたが今はダメになっているみたい。
復元されたサンファンバウティスタ号
雪がちらつきだした。
南三陸(さんさん商店街)
さんさん商店街 広い駐車場
気仙沼
ふかひれ丼を喰らう
中尊寺
弁慶堂
忘れること、忘れてはいけないこと
オレには、東北の友人もいる。
あの日から数日後、やっと携帯メールが使えるようになって、友人の一人に安否確認メールをした。
返信メールでは、
「私は大丈夫です。ありがとうございます。ただ、妹とはまだ連絡が取れません。」
簡単にメールできない深刻さに直面した。安易にメールを送った自分が恥ずかしかった。それからは、一人よがりな安否確認メールはやめた。人伝に無事がわかったことで納得しようとした。
あの日から6年、あえて悲壮感を忘れようと意識した旅だった。とにかく観光を楽しんで、おいしいものを食べて、人と話をして、お金を使って。
3月11日の朝、ホテルのロビーにあったボード。